So-net無料ブログ作成
検索選択
歴史・城 ブログトップ
- | 次の10件

お城検定:大阪城にある櫓のうち現存するものは? [歴史・城]








問1.日本100名城に選ばれた城を5つもたない県は次のうちどこか?
1.滋賀県
2.愛媛
3.長野
4.兵庫県
答えをみる

問1. 1(滋賀県) 日本100名城のうち、滋賀からは「彦根城」「安土城」「小谷城」「観音寺城」の4つの城が選ばれている。


問2.大阪城にある櫓のうち現存するものは?
1.月見櫓
2.馬印櫓
3.糒櫓
4.千貫櫓
答えをみる

問2. 4(千貫櫓) 月見櫓、馬印櫓、糒(ほしい)櫓は戊辰戦争で消失した。


問3.櫓の名前にはよく方角を表す漢字を用いられる。「艮」は次のうちなんと読む?
1.たつみ
2.ひつじさる
3.うしとら
4.いぬい
答えをみる

問3. 3(うしとら) 艮うしとら(北東)、巽たつみ(南東)、坤ひつじさる(南西)、乾いぬい(北西)


問4.鉢形城の背後を流れ、自然の水堀に見立てられた川はこのうちどれ?
1.阿武隈川
2.寒挟川
3.荒川
4.三峰川
答えをみる

問4. 3(荒川) 内堀には「深沢川」が流れ荒川とともに防御の役割を担っている。


問5.日本三名園でないのはこのうちどれ?
1.玄宮園
2.偕楽園
3.後楽園
4.兼六園
答えをみる

問5. 1(玄宮園) 偕楽園(茨城県水戸市)・兼六園(石川県金沢市)・後楽園(岡山県岡山市)は日本三名園である。


↓↓もっと問題を解く↓↓

真田家まとめ [歴史・城]

真田家
rokumonnsen.jpg
もともと武田信玄に仕える信濃の小領主だったが、武田滅亡を契機に独立。小領主ながら知略に長け、
徳川、上杉等巨大勢力を相手に生き残った。
家紋である六文銭は、当時三途の川の渡るのに六文必要と信じられていたため、真田が背水の陣の
覚悟で臨むためのものか、六文銭を見た相手を威圧するためのものか様々な諸説があります。

真田幸隆
武田二十四将に数えられ、真田昌幸の父。信玄の唯一の負け戦(砥石崩れ)の相手「村上義清」の砥石城を
一日で攻め落とした。以後「信玄公あるところ必ず幸隆あり」と言われ、川中島の戦いや、上野国経略でも
活躍した。計略に長け、「攻めの弾正」の異名を持つ。

真田昌幸
busyo9.jpg
武田二十四将のひとり「真田幸隆」の三男として生まれる。上田合戦では二度にわたり徳川軍を撃退した。
特に二度目の関ケ原の戦いの際は徳川秀忠率いる3万8000もの軍隊を八日間足止めし、秀忠は攻略を
あきらめ撤退する。西軍は負けてしまったが、東軍に付いた息子・信之の懇願により、処刑を免れるも幸村と
共に紀州の九度山に幽閉され生涯を終える。

真田信之
真田昌幸の嫡男。正室の小松姫は本多忠勝の娘。関ヶ原の戦いでは西軍の父昌幸、弟幸村に対しお家
存続のため、東軍として参じ、徳川家康に忠誠を尽くした。信之の尽力により合戦後も昌幸と幸村は死刑を
免れた。

真田幸村
busyo11.jpg
父に真田昌幸、兄に真田信之を持つ。関ケ原の戦いでは西軍に付いたが、兄信之の働きにより、処刑を
免れ父・昌幸と共に紀州の九度山に幽閉される。そののち、大阪の陣で豊臣方として参戦し、家康本陣まで
到達し家康の首まであと一歩のところまで迫るも力尽きた。大将として参加した戦は大阪の陣が唯一と
いっていいがこの活躍により「日本一の兵」と称された。

五大老 [歴史・城]

五大老とは
豊臣政権の中でも屈指の所領を有した有力大名の集まりで秀吉亡き後、政権を五奉行と共に
合議制(多数決)で運営し若い豊臣秀頼を補佐することを期待してつくられた体制だが、その真の
目的は、徳川家康を抑え込むためのものだった。自身の死後、徳川家康の台頭を恐れた秀吉は
自身の信頼のおける大名と徳川家康を五大老に任命し、家康を除く大名同士が力を合わせ家康の
動きを監視する目的で作られた。

前田利家
netaga.JPG
豊臣政権五大老のひとりで加賀100万石の大大名。
もともと信長に仕えていたが本能寺の変の後、一旦柴田勝家についたが、賤ケ岳の戦いでは
裏切り秀吉についた。また槍の名手として知られていた。

徳川家康
busyo19.png
三河国・岡崎城で生まれたとされる。幼少時代は駿府の今川義元のもとで人質として過ごすが、
桶狭間の戦いで今川が戦死したのちは信長と盟友となり、天下を目指す。
長篠の戦い、関ケ原の戦い、大阪の陣。数々の戦を乗り越え、天下人となる。1603年征夷大将軍となり
280年続く江戸幕府を開く。

宇喜多秀家
busyo7.jpg
豊臣政権五大老のひとり。嫁の豪姫は前田利家の娘。関ヶ原の戦いでは福島正則と激しい戦いを
繰り広げるが敗北。合戦後は八丈島に流刑となり、余生を過ごした。

毛利輝元
毛利元就の嫡孫で豊臣五大老の一人。広島城の築城者。
関ヶ原の戦いでは西軍の総大将として担ぎ上げられたが、合戦に参加することはなかった。
敗戦後、周防、長門の2カ国に厳封された。

上杉景勝
上杉謙信の養子にあたる。謙信の死後、同じく養子である景虎と対立するが、戦いに勝利し後継者となる。
豊臣政権下の大名となった後も、秀吉からの信頼は厚く会津120万石を与えられ五大老のひとりに列せられる。
秀吉の死後は諸大名が次々と家康に恭順するなか、最後まで対立し関ケ原の戦いのきっかけとなった。
西軍敗戦後、所領は30万石と大幅に減らされたものの、改易は逃れた。

小早川隆景
busyo17.jpg
豊臣政権兄の吉川元春とともに小早川両川と称され、早くに亡くなった長兄の嫡男「毛利輝元」を支えた。
日本三大奇襲の一つで陶晴賢と戦った「厳島の戦い(1555年)」では村上水軍を味方に付けることで
勝利している。毛利家が豊臣政権下の大名になったのちも秀吉に気に入られ五大老のひとりには列せられた。

伏見城の遺構とされる建造物 [歴史・城]

天下人豊臣秀吉が最期を迎えた場所「伏見城」。その後も大阪城に移った秀頼の代わりに
徳川家康が入城し政務を行っていたが1619年廃城。このときの建物や部材の多くは
移築され、その遺構はなおも現存し続けている。

江戸城伏見櫓
3代将軍・徳川家光の時代に移築したと伝えられ、皇居でもっとも美しい櫓である。
nijo.jpg

福山城伏見櫓
伏見城松の丸の東櫓を元和6年(1620年)に移築したものである。
3重3階の望楼型の櫓で、その大きさは並みの天守に匹敵する。
nijo2.jpg

明石城坤櫓
坤櫓は伏見城、巽櫓は船上城の遺材が使用されたと伝えられる。
nijo3.jpg

月照寺山門明石市
伏見城が廃城となり明石城に移築されたものが、明治時代を迎え廃城の際に月照へ移された。
nijo4.jpg

二条城天守
伏見城の天守が移築された。5重5階層塔型の天守であったが落雷により焼失。
現在は天守台のみが残る。
nijo5.jpg

以上、伏見城の遺構とされる建造物。でした。

リンク:お城くいず
banner.png

岐阜県の訪れたい歴史スポット [歴史・城]

岐阜
gihu.jpg
日本100名城のひとつ(39番)。信長の妻・帰蝶の父である斉藤道三が支配する時代は稲葉山城と
呼ばれていたが、信長が道三の孫にあたる龍興から城を攻め落としたのちに岐阜城に改名。
山頂からの広く開けた見晴らしは侵略者たちの動きを手に取るように把握出来たのではないかと、想像させる。

郡上八幡城
moku4.jpg
土佐の大名山内一豊の妻・千代が初代郡上八幡城主遠藤盛数の娘との説があり、山麓には2人の像がある。
小説家・司馬遼太郎先生が「街道をゆく」の中で、日本一美しい山城と紹介したお城。
復元された現在の天守は木造復元天守の中で最も古く、昭和8年に復元された。

大垣城
gihu3.jpg
関ヶ原の戦いの際には石田三成が入城して西軍の根拠地となった。
廃城後も天守の取り壊しは免れ、旧国宝に指定されたが1945年に戦災により焼失。
上で紹介した郡上八幡城は焼失する前の大垣城の天守を参考に復元した。

参考:空襲(戦争)により焼失した天守

岩村城
gihu4.jpg
日本100名城の一つ(38番)。織田方の城であった岩村城を武田信玄が武田二十四将のひとり・
秋山虎繁に命じて攻略させたが、長篠の戦い(1575年)の後、再び奪還する。
近世城郭の中で日本一高い地に作れらた城で高取城、備中松山城と共に日本三大山城に数えられる。

関ケ原
gihu6.jpg
1600年日本を東軍・西軍に二分した天下分け目の戦いの舞台となった場所。
戦いは小早川秀秋ら数名の武将の寝返りにより、半日で終わった。
名だたる武将が陣を構えた跡や戦いで命を散らした武将たちが眠る。

リンク:お城くいず
banner.png

以上、岐阜県の訪れたい歴史スポット。でした。

木造復元されたお城 [歴史・城]

白川小峰城(福島県)
日本100名城の1つ(13番)で丹羽長秀の子・丹羽長重が築城。
戊辰戦争の際に激戦地となり、3重櫓を焼失。現在の櫓は平成3年に木造復元された。
moku.jpg

掛川城(静岡県)
日本100名城の1つ(42番)。もともとあった天守は幕末に建て壊された。
一時期は山内一豊が居城としており、現在の天守は一豊の転封先である高知城を
模した天守が平成6年に木造復元された。
moku1.jpg

大洲城(愛媛県)
日本100名城の1つ(82番)。天守は明治時代に取り壊しとなったが、付属する高欄櫓、台所櫓は
解体を免れいずれも重要文化財に指定。天守は写真やひな形をもとに平成16年に木造復元された。
moku2.jpg

白石城(宮城県)
伊達政宗の重臣・片倉景綱の居城。仙台藩が創設され、一国一城令が出されるも、
仙台城と共に存続が認められた異例の城。天守代用の三重櫓は資料に基き平成7年に木造復元された。

郡上八幡城(岐阜県)
土佐の大名山内一豊の妻・千代が初代郡上八幡城主遠藤盛数の娘との説があり、山麓には2人の像がある。
天守は明治維新の際に取り壊された。
大垣城を参考に復元したとされる現在の天守は木造復元天守の中で最も古く、昭和8年に復元された。
moku4.jpg

リンク:お城くいず
banner.png

以上、復元木造されたお城。でした。

岡山県の訪れたい歴史スポット [歴史・城]

岡山
okayama.jpg
別名 烏城(うじょう)。関ヶ原の戦いで西軍の主力となった五大老の一人、宇喜多秀家が八丈島に流刑となり、
代わって小早川秀秋が備前・美作52万石の領主として入城した。

備中松山
biccyu30.jpg
現存12天守の一つ。現存天守の中で最も高い位置にあり竹田城跡同様、雲海による天空の城が見られる。
最寄りに尼子氏再興運動に尽くした山中鹿之助の墓がある。こちらも合わせて行きたい。

備中高松城跡
okayama1.jpg
秀吉が信長の命により中国地方を攻略の際、水攻めを行なったことで有名。城主の清水宗治は城内に
残された者の命と引き換えに自らの命を絶ったが、後世も「武士の鑑」として称賛された。

砥石城
三大梟雄の一人「宇喜多直家」出生の城とされる。
谷一つ挟んだ西側にある急峻な尾根には高取山城があり、今も城郭の跡が残る。
砥石城の東の山上には大賀島寺があり宇喜多氏ゆかりの寺院。

茶臼山城
cyausu2.JPG
昭和63年に2層3階の層塔型の模擬天守が建てられた 。
関ヶ原の戦いで西軍に属していた毛利氏が敗戦後、萩へ西帰するまで16年間在城した。
朝鮮出兵の際、名護屋城へ移動する豊臣秀吉が茶臼山城を宿舎にしたと伝えられる。

リンク:お城くいず
banner.png

以上、岡山県の訪れたい歴史スポット。でした。

現存12天守を紹介する。 [歴史・城]

城好きの基本「現存12天守」を紹介します。

弘前
hirosaki70.jpg
東北唯一の現存天守。
・1611年に築城した5重の天守は落雷で焼失し、現在の天守は櫓を天守代用にしたもの。
・防寒対策のため銅瓦が使われている。

松本城
matsumoto70.jpg
・もともとは天守と乾小天守をつないだ連立式天守だったが、徳川3代将軍「家光」が
立ち寄るとの連絡を受け増築された(しかし、結局この話はなくなり家光は訪れなかった)。
・月見櫓が現存するのは岡山城と松本城にのみ。

犬山城
inuyama2.jpg
・織田信長の叔父「信康」が築城。
・平成16年3月までは個人の所有物だった。
・城好き芸人のロンブー淳が観光大使を務める。

丸岡城
Maruoka2.jpg
北陸唯一の天守。
・織田信長の重臣「柴田勝家」の甥「柴田勝豊」が築城。
・凍結による瓦の破損を防ぐため石瓦が使われている。

彦根城
hikone30.JPG
・徳川四天王の一人井伊直政が築城を計画。
・ひこにゃんの兜が赤いのは井伊直政の赤備えをモデルにしたため。
・天守は破風、華頭窓、飾金具等多くの装飾が用いられ豪華な作りになっている。

姫路城
himeji.jpg
・城唯一の世界遺産。
・日本三大連立天守の1つ。
・平成の修理後、あまりの白さに白すぎ城とも呼ばれた。

松江城
matsue30.jpg
・豊臣政権3中老の一人堀尾吉晴と子・忠氏が築城。
・築城の際、父吉晴は荒隈山に城をと考えたが子忠氏の意見により現在位置の亀田山に築城された。
・天守の中に井戸がある。

備中松山
biccyu30.jpg
・現存天守の中で唯一の山城。
・二重二階の最小の天守。
・赤穂浪士のリーダー大石内蔵助が在番していた時期があった。

丸亀城
marugame70.jpg
・山頂まで4重に重ねられた石垣は日本一高く、総高60メートルになる。
・山崎氏に変わって丸亀藩藩主となった京極氏の初代「京極高和」は
・浅井三姉妹の初の孫にあたる。

松山城
松山城70.jpg
・日本三大連立天守の1つ
・賤ヶ岳の七本槍の一人「加藤義明ら」が築城を開始。
・二の丸と本丸の間は登り石垣で覆われ、山腹からの侵入を防いでいる。

宇和島
uwajima30.JPG
・石落としや狭間などの城の基本的な防御設備がない。
・縄張りは築城の名人「藤堂高虎」が設計したとされる。
・縄張りが五角形をしており、相手に四角形と錯覚させ、死角をつく設計になっている。

高知
kouchi30.jpg
・本丸が完存(御殿が現存)。
・日本三大夜城の1つ。
・江戸時代の始まりから幕末まで藩主が変わらず山内家の居城だった。

サクッとご紹介しましたがこんなに一度には。。という方はまず国宝5城(姫路、松本、彦根、犬山、松江)
から入ってみてはいかがでしょうか?

リンク:お城くいず
banner.png

以上、現存12天守を紹介する。でした。
- | 次の10件 歴史・城 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。